筆者が電車好きになった切っ掛けの車両、横浜線205系0番台です。
2014年にE233系6000番台に置き換えられる形で引退、一部がインドネシアに旅立ち今もジャカルタの通勤輸送を支えています。
使用した種車
・205系金型20両
編成内訳(5両4本)
・H1編成
・H15編成
・H27編成
・H28編成
主な改造内容
・先頭車前面のリアル化
・先頭車へのスカート設置
・先頭車の電装
・後尾車の中間車化
竣工日:2017年12月31日
2014年に8両固定編成を作成しましたが2017年の水準にアップデートするのを兼ねて再改造しました。
一部傷んでいた中間車を差し替えたり、帯をシールから塗装に変更するなどの加工を行いました。
正面帯を0.3mmプラ板で再現した後、コトブキ屋の丸モールドでライトを再現し、下部のステップを1mmプラ棒で再現。
ここは製品のままでもよかったのですが、ライトのバランスを考えて更新しました。
H27編成の先頭車のみ2015年頃に改造を始めており、幕板の帯の方向幕が来る箇所を撤去していました。その後着手した中間車や別の先頭車ではこの工程は省略しています。
また、0番台の山手線に投入されたグループのみ乗務員扉後ろにステップがあるため、細いプラ棒で再現しています。
横浜線編成には6ドア車が組み込まれており、これも再現します。
製品中間車を切り継ぐのでも良いのですが切り継ぎが苦手なので後尾車の側面をプラ板に置き換えて作成しました。
クーラーは新規金型の103系の物に交換。
下段のボロボロな方は2014年竣工の個体です。こちらはE231系山手線中間車の側面を使用しているので色々違います。
ちなみにこうやって作りました。
先頭車だけで8両作成しています。
2013年に改造着手した先頭車の改装後の様子。もともと傷んでいた種車を改造し更に何度も改装を加えたためかなり脆くなっていますが見た目は綺麗になりました。
スカートは元あった車両は0.3mmプラ板ベースで、新規に作成した先頭車は1mmプラ板をベースにし強化しています。
電装用にスライドスイッチを設けていた跡です。埋めるか悩みましたが敢えて残すことで昔の自分の技術を振り返ることができるようにしました。思い出重視。
中間車のパンタグラフはEF510の物を使用。写真は改装前の物で配管の表現が見えますが、改装時に撤去しました。
塗装中の様子。
塗装の順序
グレー(屋根)→シルバー→黄緑6号→ダークグリーン
塗装完了後の様子。
H15編成。電装していない先頭車はライトを黄色く塗っています。
程よくおもちゃらしさを残しています。
H1編成。度重なる改装を受けようやく納得のいく形に落ち着きました。こちらは電装しています。
5号車は弱冷房車になっているため、ステッカーで表現。
左端からH28編成、H1編成、H27編成、H15編成。
右端のH15編成は先ほどの写真の時からブラックフェイスに工夫を加えました。何がやねんとなるかと思いますが…
H15編成は最末期、ブラックフェイスが一部剥げていました。撮影するときに遠くからでもすぐ見分けられたのが印象的で再現したかったポイントでした。変な写真ですいません(^^;)
<ギャラリー>
2015年頃撮影。大船あたり?を走行する様子をイメージしました。
2015年頃の先頭車。ライトがプラパイプだった頃です。まだまだ技術が足りない時期で試行錯誤を続けました。
2014年の竣工直後の様子。当時編成物は作ったことがなく、こうして長編成の車両を仕上げたのはこれが初めてでした。
ここでのノウハウが今も生かされ、10両編成の車両でも安定したクオリティで作成できるように至りました。
2019年頃撮影。東神奈川電留線に並ぶ様子を再現。
すぐ後ろにはE233系も走っており、世代交代がすぐそばに迫っています。
205系が登場した頃をイメージした写真。当時は103系が主力で205系はデビューしたばかり。上の写真の対比版のようなイメージです。
新横浜駅をイメージ。
2020年頃撮影。
2020年頃撮影。夜の八王子駅をイメージしています。
「もうすぐ発車しちゃう、急がなきゃ」という言葉が聞こえてきそうです。
池谷さんの作品とコラボ。
横浜線の205系は幼稚園に入る前から見ていた「電車」で、大きくなってからも通学で何度となくお世話になりました。
雪の日も雨の日も桜の咲く春も、ギラギラとした夏の日もいつもお世話になりました。
うれしいことがあった日も、学校で嫌なことがあった日も、旅行から帰ってきた日も、受験の帰りも、この電車の音を聞くと安心しました。
2014年8月23日、15年見続けた彼とも別れの時が来ました。
この写真はそんな大好きな205系を最期に収めたものです。
この車両の思い出をいかに形に残すか、そう努力したおかげでプラレールの改造のスキルはぐっと高まり、おかげで色んな同じ趣味の人とも出会う切っ掛けになりました。
この車両には趣味的にも、生活的にも非常に支えられました。
そしてこの愛した電車が今も世界のどこかで人の為に働いていると思うと、色々思う物があります。
もう7年経つけど、ありがとう。